ジャーナリングとは、頭の中や心の中にある気持ちや考えを、思いつくまま紙やノートに書き出すことです。
この「紙に書き出す」ということは、私にとって大きな救いになりました。
今まで何十年も誰にも話せず、心の中にしまい込んできた感情や思いを言葉にして外に出すことは、私にとってとてもパワフルな経験でした。
ただ、始めたばかりの頃は、何を書けばいいのか分かりませんでした。
ノートを開いても、何も思いつかない。
でも、続けているうちに少しずつ言葉が出てくるようになりました。
私は、ジャーナリングは「自分の気持ちを外に出す練習」であり、「自分自身と会話する練習」でもあるのではないかと思っています。
もし何を書けばいいか分からなければ、まずは過去の出来事を思い出してみてもいいかもしれません。
子どもの頃に感じていたこと。
過去に経験した辛かったことや悲しかったこと。
その出来事について書いたあと、
「私はあのとき、どんな気持ちだったんだろう?」
と自分に聞いてみる。
そして、その気持ちが出てきたら、今度は
「どうして私はそう感じたんだろう?」
と、もう一度自分に問いかけてみる。
すぐに答えが出なくても大丈夫です。
何度も書いていくうちに、
「私はこれが嫌だったんだ」
「本当はこうしてほしかったんだ」
と、自分でも気づいていなかった気持ちが少しずつ見えてくることがあります。
過去のことだけではありません。
日常の中で「嫌だった」「辛かった」「悲しかった」と感じる出来事があったときにも、その出来事と、そのときに感じた気持ちを書き出してみます。
そして、また自分に「なぜそう感じたんだろう?」と聞いてみる。
私自身、そうやって自分の気持ちを見つめていく中で、同じようなパターンを何度も繰り返していたことに気づきました。
似たような出来事が起こる。
同じように反応する。
そして、また同じように傷つく。
でも、その気持ちをきちんと知ろうとしていなかったから、私は長い間、そのパターンに気づくことができませんでした。
例えば私は、昔から「誰よりも好かれたい」と必死になっていたところがありました。
職場で、自分より同僚のほうが先輩から好かれているように感じると、
「私は価値のない人間なんだ」
とまで思い込み、自己嫌悪に陥ることがありました。
なぜ私は、そこまで強く反応してしまうのだろう。
ジャーナリングをしながら自分の過去を振り返っていくと、ひとつ思い当たることがありました。
子どもの頃、両親は私と同い年の従兄弟をとても可愛がっていました。
家族同士で旅行に行ったときも、いつも従兄弟が一番に可愛がられているように感じ、幼かった私は「自分は後回しにされている」と感じていました。
私には、いつも従兄弟が主人公で、自分はその次にいるように見えていたのだと思います。
その頃に感じていた寂しさや、「私も見てほしい」「私も一番に大切にしてほしい」という思いが、自分の中にずっと残っていたのかもしれません。
そして大人になった私は、その気持ちに気づかないまま、「もっと好かれなきゃ」「もっと認めてもらわなきゃ」と頑張り続けていたのだと思います。
ジャーナリングをしていると、自分でも知らなかった自分に出会うことがあります。
感情には、それぞれ自分なりの背景があります。
その答えを無理に外に探さなくても、自分の中を丁寧に見つめていくことで、少しずつ見えてくることもあります。
自分のことを知ってあげること。
私は、それが自分を癒していくための第一歩なのではないかと思っています。
焦らず、自分のペースで。
一緒に、自分自身のことを少しずつ知っていきましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
